情緒メンテナンス部 #003|「怒っちゃいけない病」にかかってた話

🛠情緒メンテナンス部

昔のわたしは、怒るのがめちゃくちゃ苦手でした。
いや、今でも得意じゃないけど、それでも昔よりはマシになったと思う。

なぜなら、「怒るのって悪いことじゃない」って気づいたからなんです。

当たり前だと思うかもしれないけど、そう思えるようになるまで何度も情緒をバグらせてきました。

「怒り=ダメ」だと思ってた

わたしは昔から、「怒ってる人」が苦手でした。
怒鳴ってる人を見ると、心がぎゅっと縮こまる気がする。
ケンカしてるのを見ると、自分は悪くないのに泣きそうになる。

たぶん、そこから無意識に学んでたんだと思います。

「怒ると、まわりに迷惑かける」
「怒ると、優しくない人になる」
「怒るわたしは、きっと嫌われる」

だから、イラッとしても笑ってごまかすし、「まぁいいや」ってスルーするのがクセになってました。

怒りを抑えてるとどうなるか?

表面上はニコニコ。
でも内心は、なんかモヤモヤ、ぐつぐつ……。

そうやって怒りを飲み込んでると、ある日突然、意味不明なことで爆発します。

例:

  • コンビニでレジの順番抜かされただけで無性に悲しくなる
  • LINEのひとことが妙に引っかかって、脳内でぐるぐる
  • 寝ようとした瞬間に「そういえばあのときのあれさァ!!」って思い出して眠れなくなる
ぽてとっと
ぽてとっと

これ、わたしだけですかね?(違うと思いたい)

要するに、怒りって消えないんです。
放っておくと、形を変えて戻ってくる。しかも、じわじわ~と。

「怒ること」は悪じゃない

怒りって、そもそもなんのためにあるのか。

調べてみたら、意外と明確な役割がありました。

怒りは、「自分の大事なものが傷つけられた」と感じたときに出てくる感情。

つまり、怒るってことは「これはイヤだよ」って自分の境界線を教えてくれるサインなんだって。

わたしは今まで、それをぜんぶスルーしてました。
「大したことない」って自分に言い聞かせて、「気にしすぎだよね?」って自分を黙らせて。

でも、境界線を踏み越えられても「なにも感じないふり」をしてたら、そのうち本当に「自分がなにを大事にしてるのか」分からなくなってくる。

それって、情緒的にはかなり危険な状態だったんだよね。

「ちゃんと怒る練習」、始めてみた

というわけで、最近は“怒る”って行為を少しずつ練習中。

といっても、いきなり怒鳴るとかじゃないよ?
わたしがしてるのは、こんな感じのステップ👇️

①イラッとしたら「なんで?」を聞いてみる

例:
「今、ちょっとモヤったな。なんでだ?」
→「あ、期待してた返事がこなかったからか」
→「ほんとはもっと大事にされたかったんだな」

怒りの下にある感情を掘り出してみると、案外“悲しみ”や“寂しさ”だったりする。
それに気づくだけで、怒りの質が変わる。とげとげじゃなくなる。

②小さい「モヤ」を言語化する練習

例:

  • 「ちょっと違和感あるかも」
  • 「今の言葉、少し引っかかったなぁ」
  • 「わたしとしては、こう感じたよ」

↑こういうの、昔のわたしは全然言えなかった。
でも“怒りの予備軍”って、小さな違和感のうちに伝えたほうが安全◎
(溜めると爆発するので……経験済み)

③怒りを「動かす」方法を持つ

たとえばわたしは、

  • 感情を紙に書きなぐる
  • カラオケに行って歌いまくる(おすすめ)
  • 感情フィクションとして創作に使う

怒りは発散じゃなくて、“表現”するほうが心にはやさしいなって最近思う。

怒りを許したら、感情が落ち着いた

怒りと向き合えるようになってから、わたしの感情は前よりずっと安定してます。

今までは「モヤ→爆発→無気力→反省会」の無限ループだったけど、ちゃんと途中で気づけるようになりました。

そしてなにより、「怒ってもいい」って自分に言えるようになったことがいちばん大きい。

怒っても、わたしはやさしいままでいられる。

そう思えるようになって、ほんとの意味で“やさしくなる”準備ができた気がする。

まとめ:怒ることは、自分を守る手段

  • 怒りは「心の境界線センサー」
  • 怒ることを許すのは、自己理解の第一歩
  • ちゃんと怒れる人は、ちゃんと人を大事にできる

怒っちゃいけない病、わたしはもう卒業しました。

でも、また再発するかもしれないし、怒りをどう扱うかって一生のテーマかも。

それでも、怒りに気づけた日からわたしはちょっとだけ、自分を信じられるようになったよ。

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