昔のわたしは、怒るのがめちゃくちゃ苦手でした。
いや、今でも得意じゃないけど、それでも昔よりはマシになったと思う。
なぜなら、「怒るのって悪いことじゃない」って気づいたからなんです。
当たり前だと思うかもしれないけど、そう思えるようになるまで何度も情緒をバグらせてきました。
「怒り=ダメ」だと思ってた
わたしは昔から、「怒ってる人」が苦手でした。
怒鳴ってる人を見ると、心がぎゅっと縮こまる気がする。
ケンカしてるのを見ると、自分は悪くないのに泣きそうになる。
たぶん、そこから無意識に学んでたんだと思います。
「怒ると、まわりに迷惑かける」
「怒ると、優しくない人になる」
「怒るわたしは、きっと嫌われる」
だから、イラッとしても笑ってごまかすし、「まぁいいや」ってスルーするのがクセになってました。
怒りを抑えてるとどうなるか?
表面上はニコニコ。
でも内心は、なんかモヤモヤ、ぐつぐつ……。
そうやって怒りを飲み込んでると、ある日突然、意味不明なことで爆発します。
例:
- コンビニでレジの順番抜かされただけで無性に悲しくなる
- LINEのひとことが妙に引っかかって、脳内でぐるぐる
- 寝ようとした瞬間に「そういえばあのときのあれさァ!!」って思い出して眠れなくなる

これ、わたしだけですかね?(違うと思いたい)
要するに、怒りって消えないんです。
放っておくと、形を変えて戻ってくる。しかも、じわじわ~と。
「怒ること」は悪じゃない
怒りって、そもそもなんのためにあるのか。
調べてみたら、意外と明確な役割がありました。
怒りは、「自分の大事なものが傷つけられた」と感じたときに出てくる感情。
つまり、怒るってことは「これはイヤだよ」って自分の境界線を教えてくれるサインなんだって。
わたしは今まで、それをぜんぶスルーしてました。
「大したことない」って自分に言い聞かせて、「気にしすぎだよね?」って自分を黙らせて。
でも、境界線を踏み越えられても「なにも感じないふり」をしてたら、そのうち本当に「自分がなにを大事にしてるのか」分からなくなってくる。
それって、情緒的にはかなり危険な状態だったんだよね。
「ちゃんと怒る練習」、始めてみた
というわけで、最近は“怒る”って行為を少しずつ練習中。
といっても、いきなり怒鳴るとかじゃないよ?
わたしがしてるのは、こんな感じのステップ👇️
①イラッとしたら「なんで?」を聞いてみる
例:
「今、ちょっとモヤったな。なんでだ?」
→「あ、期待してた返事がこなかったからか」
→「ほんとはもっと大事にされたかったんだな」
怒りの下にある感情を掘り出してみると、案外“悲しみ”や“寂しさ”だったりする。
それに気づくだけで、怒りの質が変わる。とげとげじゃなくなる。
②小さい「モヤ」を言語化する練習
例:
- 「ちょっと違和感あるかも」
- 「今の言葉、少し引っかかったなぁ」
- 「わたしとしては、こう感じたよ」
↑こういうの、昔のわたしは全然言えなかった。
でも“怒りの予備軍”って、小さな違和感のうちに伝えたほうが安全◎
(溜めると爆発するので……経験済み)
③怒りを「動かす」方法を持つ
たとえばわたしは、
- 感情を紙に書きなぐる
- カラオケに行って歌いまくる(おすすめ)
- 感情フィクションとして創作に使う
怒りは発散じゃなくて、“表現”するほうが心にはやさしいなって最近思う。
怒りを許したら、感情が落ち着いた
怒りと向き合えるようになってから、わたしの感情は前よりずっと安定してます。
今までは「モヤ→爆発→無気力→反省会」の無限ループだったけど、ちゃんと途中で気づけるようになりました。
そしてなにより、「怒ってもいい」って自分に言えるようになったことがいちばん大きい。
怒っても、わたしはやさしいままでいられる。
そう思えるようになって、ほんとの意味で“やさしくなる”準備ができた気がする。
まとめ:怒ることは、自分を守る手段
- 怒りは「心の境界線センサー」
- 怒ることを許すのは、自己理解の第一歩
- ちゃんと怒れる人は、ちゃんと人を大事にできる
怒っちゃいけない病、わたしはもう卒業しました。
でも、また再発するかもしれないし、怒りをどう扱うかって一生のテーマかも。
それでも、怒りに気づけた日からわたしはちょっとだけ、自分を信じられるようになったよ。
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