思考ぐるぐる議事録 #001|“フツウ”に憧れたあのころ

🌀思考ぐるぐる議事録

~“ちゃんとしてる人”に憧れて疲れてた、昔のわたしへ~

「普通になりたい」って、なんであんなに思ってたんだろう?

今のわたしが中学生だったころのわたしに問いかけたら、たぶん彼女はこう返すと思う。

「いや、そりゃなりたかったよ?(キレ気味)」って。

“ちゃんと”してる子になりたすぎた時代

わたしが「普通の子選手権」に本気でエントリーしてたのは中学時代。

  • 学校にちゃんと行ける
  • 感情が安定してる
  • 怒られない、浮かない、ちゃんと笑える

そんな「ちゃんとルール」を完璧に守れる人になりたかった。

だって当時のわたし、感情ジェットコースターだし、たまに学校行けてなかったし、めちゃくちゃ浮いてたんだよね。
「ザ・場違い」って自分で感じるくらい。

「じゃあ“ちゃんと”すれば、浮かないんじゃ?」
そんな気持ちで、みんなに合わせようと必死でした。

“普通”って、誰が決めたんだっけ?

あのころのわたしは、「普通でいなきゃ」を合言葉に仮面生活。
明るくていい子のふりをして、毎日が「フツウごっこ」。

でもふと気づく。

「そもそも“普通”って誰が決めたん?」って。

理想的な人のいいとこ取りをして、自分の中で勝手にコラージュ。
それに名前をつけて、「これが普通の正解です」って思い込んでただけだった。

そして今:ひきこもって気づいた“ズレ”の愛おしさ

時は流れて現在、ぽてとっと、まあまあ引きこもってます。

  • 基本、旦那以外に人と会わない
  • 外には必要最低限しか出ない
  • 感情、あまり隠してない(むしろ漏れてる)

そんな生活をしていたら、ふと思った。
「ん?別に変でもよくないか?」って。

むしろ“変”な自分に味があるかもしれない説

エッセイやnoteを読み漁るうちに、「変わってる=魅力」って感覚がじわじわ広がってきた。

感情のアップダウンも、脳内での過剰会議も、「おい、今日も議題多すぎな!」って自分にツッコめるようになった。

あのころよりちょっと、自分の取り扱いが上手くなってきた気がする。

もし“普通”になれてたら?

もしも、あのときほんとに“普通の子”になれてたら?
それはそれで生きやすかったかもしれない。

でもね、正直、ちょっとつまらなかったかも。

あんなにぐるぐる悩んだ日々が今は“わたしコンテンツ”の元ネタになってるし、仮面生活のツラさだって今ならユーモア混じりに語れる。

「わたし、めんどくさいな~」って思った瞬間すら、今となってはちょっと愛おしい。

まとめ:ズレてる自分も、まあいいじゃん。

“普通になりたかった昔のわたし”に、今のわたしが言いたいのはこれ👇️

「いや、変でもいいんだよ。むしろそのズレ、いい味出してるから。」

“ちゃんと”してない自分だからこそ書けることがあるし、誰かに共感してもらえることもある。

だから今日もわたしは、「ちゃんとしてないまま」生きていきます。
ぐるぐる考えながら、たまに笑いながら。
そして、そんな自分を全力でネタにしていく所存です🌀

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